ご挨拶

我が社の住宅建築にかける思い

多くの人が一生に一回の贅沢な買い物、それがマイホームではないでしょうか。オーナー様の理想の家族との生活を実現できる家、そして自分たちはもちろん、訪れたすべての人たちをワクワクさせられるような今までにない家づくりをラシックハウスと一緒に創りましょう。


吉田資材株式会社 
代表取締役 吉田 明弘

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吉田明弘~自己紹介~

1971年私は埼玉県の新座市に生まれました。
当時、私の家は典型的な昭和の団地の2LDKの狭い賃貸
で、家の中の設備も典型的な昭和の施設。
和式トイレに冬でも冷たい水しか出ない水道、
ガスで沸かす正方形の湯船、温度調整を間違えると
熱すぎて入れない湯温になり、触ると
やけどしそうな蛇口のある家でした。
でも親や兄弟と楽しく暮らしてました。
家計もそこまで裕福ではありませんでしたが、
親や兄弟たまに遊びに来てくれる親戚の
笑顔があふれる空間となっていました。
父親と一緒にお風呂に入ったり、食べ物をこぼして怒られたりと
今思えば他愛のないことですが、
とても良い思い出です。

私が小学4年生の時にその近所に戸建てを買いました。
その時に「自分の部屋」を親から与えられましたが、
当時テレビが1台しかなくリビングで家族で一緒に
バラエティやドラマなどを観ていました。
今でも当時見ていた番組の話を家族ともしますし、
少年野球をやっていたからか友達も多く遊びに来てくれ、
そんな時にしか食べられないお菓子を
友達と食べた記憶が残ってます。
当時大好きで食べていたポテトチップスを食べると
当時の思い出が浮かびます。

成長し中学生の時は野球のシニアリーグ・
高校ではラグビー部に所属し、
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(ラグビー部)

大学時代はスキー部に所属し、
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(スキー部)

勉強そっちのけでスポーツにとことん取り組みました。
結果が出なかった時や
ケガしてイライラして帰って来ても
それを慰め励まし、時にはいさめてくれたのも
家で待っていてくれる親や兄弟でした。
外では恰好悪くて言えない事・いくら家族でも
外では言えない事も家の中では
安心感からなのか普通に話していました。
それ以降一人暮らしになりましたが、たまに実家に帰り
親や兄弟親戚の顔を見ると自然と会話が溢れ
「自分にあったら帰ってきていい場所」
なんだと今でも痛感してます。

やはり人間は一人では生きていけない。
他人と話し触れることによって人は嬉しさや
悲しみときには憤りを感じます。それが解決した時、
または達成した時そのことを他人と共有できた時に
人はこの上ない幸福感を感じるのではないでしょうか?
少なくとも私には以上の事が生きていくうえで極上で
究極の幸せだと信じています。

私はそのような素晴らしい感情を
両親に教えてもらいました。
そして自分が苦しい時、悲しい時、
はたまたうれしい時に自分がどんなに救われ
励まされて嬉しかったか。
父親が野球やラグビーで私が少しでも上手になるようにと
8mmカメラで撮影したものを夜家に帰って再生しながら一生懸命アドバイスしてくれた事や、
朝起きた時にご飯や弁当を作る包丁やガスコンロの音は
大人になった今でも強烈に私の耳に残っています。

人間はその温かさや愛情、物事への取り組みの仕方、
難題に必要な知識や体力を育てそれを
自分の子供に伝えていく。
その生活に必要な事を学び伝えていく場所、
嬉しさや悲しさ、感動できる場所、勇気を与えてくれる場所、
それが「家」だと思います。

私は家族によって体験できた素晴らしい経験を
「家づくり」を通して多くの人に伝えたい。
家族が常に触れ合える空間を
玄関に入った瞬間から感じてもらいたい。
毎日の営みである配膳や食器の後片付けや洗濯を
家族全員が手伝いたくなるように提案したい。
子供がやっている宿題を両親や兄弟が教えてあげられる
勉強スペースを提供したい。
空き巣などに入られない家族だけの空間を提供したい等
私共に「家づくり」をお任せいただければ計画段階から
生活が見える間取り空間、
ご家族のシンボルとしてのまた他人が羨むオシャレな外観、
そして家を建てた後もゆとりのある生活を
営んでいけるような無理のない資金計画を
住宅メーカーなどが持つ固定概念を押し付けるのではなく
お客様一人一人と一緒に考えていきたいと思っています。

私たちラシックハウスの家づくりは
お客様ご家族の笑顔最優先をモットーに行っています。
是非皆さまの「笑顔作り」を私たちにお手伝いさせてください!

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